「このままだと50歳で寝たきりですよ」パプワくん作者・柴田亜美(55)が体験した“地獄の漫画家生活”
――1991年に「月刊少年ガンガン」創刊号で漫画家デビュー。いちばん忙しかったのはいつ頃ですか?
柴田亜美さん(以下、柴田) デビュー翌年に『パプワくん』がアニメ化されて、その数年後には「月刊少年ジャンプ」や「週刊ファミ通」での連載が始まって……。漫画家生活2~3年目で、もう地獄でしたね。
――バブル崩壊後の90年代に「出版バブル時代」が到来します。
柴田 90年代って、少年漫画は『SLAM DUNK』や『幽☆遊☆白書』、少女漫画なら『美少女戦士セーラームーン』とか、ヒット作が連発でしょう。当時のジャンプが600万部の時代ですから。
私もあっという間に連載が増えて、パプワくんの2話目を描いた後に、会社を辞めました。あの頃、キツかったのは『自由人HERO』を連載していた「月刊ジャンプ」のネーム直し。何度、編集をぶん殴りたいと思ったことか(笑)。とはいえ、アシスタント経験もない自分に漫画のイロハを叩き込んでくれたわけですから、集英社には足を向けて寝られません。
――慣れない漫画家生活はどうでしたか?
柴田 デビュー当時はアシスタントさんもいなかったから、1人で高円寺のアパートにこもりっきり。ものすごい孤独感で、精神的に追い詰められるし、やっぱりちょっとおかしくなりました。何度も発狂しそうになりましたね。
――食事はどうしていましたか?
柴田 出来合いのものを買ったり、近所のデリバリーを頼んだり。あるいは、食べない。あまりの忙しさで食べる余裕がないときも多くて……。そういうときは栄養ドリンクを浴びるように飲んで、最終的には男性向けの強壮ドリンクにも手を出していましたね。 ところが、ある日、医者をやっていた父が冷蔵庫の中を見て、「これは興奮剤だから絶対に飲んだらダメだ!」とかなんとか言って、全部捨てられたんです。
中略
――休みは年間で何日ぐらいありましたか?
柴田 いちばん酷いときは……ゼロですね。休みどころか、睡眠時間も人生で普通の人の3分の1以下しか取れていない気がする。「36時間起きて、4時間寝る」というような生活でした。
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この記事への反応
・ギャグ漫画バブル時代の人達全員おかしくなってそう(´・ω・`)
・ドキばぐ大好きやったな(´・ω・`)
・なんでそんな、いいっすねやりましょう
みたいな仕事の受け方をするのか…
ヒットしでたときもう同時にやってたを義理でやるのは
仕方ないにしても他は普通に断れや(´・ω・`)
・睡眠死守、栄養バランス死守
・柴田亜美さんの話がリアルで面白いし、凄い。
やっぱ昔は狂ってるよね
・やはりいろいろ削って生きてるんだなあw どんな仕事も大変だよね~
・ナチュラルハイを常用すると死にますね
・柴田亜美先生が一時期「栄養ドリンクのソムリエ」を自称してたのを思い出した。
お身体に気を付けてくださいまし。
・最盛期には同時に8本の連載があったんだ
忙しかっただろうなあ…
凄いバブリーな時代の話だな・・・、エナドリ漬けとか今でもありそうだけど
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お前偽者だろ?
本物のプリンは町内の敬老会に出席してるぞ
こんなに寝てる自慢しないと。
命削ってまで漫画描いてほしいわけじゃない。
ファミ通でドキばぐ連載してた時もよくネタにしてたし
ベテランになってもあんまり変わらないところを見ると
安請け合いするタイプ
生活費を考える事無く気ままに過ごせたんなら苦労もク/ソも無いだろ
「許容量を超える仕事ホイホイ受けてくんな」
ってキレ散らかしてたやつや
人斬り高津の事件の印象ももっと薄かっただろうにな
2000万部以上発行された漫画家が親に頼るほど困ってるわけねえだろう
この人はもう漫画家やめて本来やってた絵画に移行しとるぞ
そっちも個展を定期的にやれるくらいには成功しとる
未だに大手はあるぞ。前の会社は平日で時間有ればすかさず経費飲み会やわ。経費は使わないと減らされるからな。
根性が足らんな、根性が
すげぇ連載増えた時期、まずファンロードの仕事断れよ、と思いながら笑ってた
命削って漫画描くのは一時的には凌げるだろうけど最終的にクオリティも落ちてくもんなぁ
しかも、少年漫画に少女漫画に4コマも出来るオールラウンダーだったし
小さいし