▼Twitterより
90年代のギャル文化全盛を経験してきた感覚として、ギャルは「自分のスタイルを持ってる」というより、素顔の個性を画一的に塗りつぶすトライバルな厚化粧と強烈な服飾でモテるモテないの格差を覆い隠し、女性間の揉め事の芽を摘んでトライバルな連帯を保とうとする部族的習俗の連合体のようにみえた。
— 天野邊 あまのほとり (@psysphaira) June 4, 2022
眉毛全部抜いてから細く描いて髪の毛染めてルーズソックス履いて、そういう均質なファッションをしていないと「アイツダサくね?(男ウケ狙って媚びてね?)」みたく女子内でハブられるから、集団から「浮かないために」という消極的な選択としてギャルファッションをしていた人々も茨城では多かった。
— 天野邊 あまのほとり (@psysphaira) June 4, 2022
基本的にファッションは欧州のハイブランドやアメリカのストリートから輸入されるだけで、日本発で海外まで知られたものはほとんど無かったです。
— ひろゆき (@hirox246) June 5, 2022
ギャル文化のファッションは、渋谷区の路上の女子から生まれて全国に広がり、海外にも影響を与えたので、日本の文化史の中でもっと評価されるべき https://t.co/Cx5CU4THBm
この記事への反応
・作家の洞察力とつむぎ出す言葉の説得力がすげえ
・当時は没個性の極みって評価だったなぁ。
ルーズはかない子がいじめにあったなんて話もあったし。
・妄想がすごい
・90年代のギャル文化全盛を「東京で」経験してきた感覚として、ただ単に自分達の好き勝手遊んでただけやで。流行りの殆どは東京から生まれるから、ワイらが使ってた言葉も服装も全国に飛び火してビッグビジネスになってく様をリアタイで見れて貴重な体験だたなりよ。
・「比類なき男に媚びないメイク」て誰かが言ってたな。自分もそう思った。可愛い可愛くないとか関係なく面白いく粋でカッコいいと思った。
・なるほどな~。
ギャルの方たちの意識も聞いてみたい。
・eggとかかな?
・見た目による個性を塗りつぶすことで
それ以外の個性を貫きやすくしていたのかも
・90年代はまだバブルの残滓もあり没個性ではなく自分探しのオンリーワンをしてた様な?
"商品化された少女"へのアンチテーゼとしての回答のマンバが出てくるのは00年代頭頃じゃなかったっけ?
・その一つの到達点がいわゆるヤマンバメイクでありパラパラだったんだろうなと。
ギャルは部族だったのか
カーディガンの色や紺のスクールバッグに何の缶バッジ付けるか程度の選択肢はあって
一応それが個性のアピりどころだった
今のは昔の真似か韓国の後追いしてるだけだけど
男からすればエロいか、そうじゃないかでシンプルや
ひと握りの「自力で独自のスタイルに至った子」にほとんどが右に倣えしてただけだけやぞ
ストレッチプラムと冬木スペシャルの小指と角度程度の差異を独自のスタイルとするんなら全員が独自のスタイルを確立したでもええけど
この人たちって「挫折しなかった全共闘世代」だったんじゃないのか、と思わなくもねぇな
自称若者だぞ
なんでギャル文化を評価してんの?
2000年初頭のゴリゴリのギャルは完全に最先端のファッションだろ
まあ実際同じ格好しとけば大体OKって安心感あったし
選択肢減って楽だったよね
排他的だね
ヤマンバも三年くらいでシノラー流行ったりとファッション移り変わったじゃないか
ちょくちょくブーム復活みたいなこと仕掛けてたのいるけど結局盛り返さずに今のメイクに落ち着いて行ったしさ
ルーズソックスだとあの頃はギリで存在してたコギャルの概念のそれでは?
逆にキモオタは前にも進めないプリンみたいな奴